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不動産屋がやるブックレビュー アラン『幸福論』 連載8回目

ブドウがおいしい季節になりました。秋のブドウ、ナシ、柿、何でも好きです。

ていうかきゅうり以外の食べ物だいたい大好きです。

~きうり以外は大体友達~♪

202109

悪そうなやつは大体友達な方々

・・・

・・・

さて、この連載も8回目です。やばいほどにペースが落ちてる。。。まとめをなめてましたワタクシ※同時並行して読み進めてますが、そちらも4/5くらいまで来ております。

ただ、本の内容は、読むほどにワタクシを励ましてくれます。

で今回は8回目

第8回目は

15.死について
16.態 度

をレビューです。

15.死について

死という思考そのものには対象がない。

・・・どういうこと?

死んでしまった先のことは、我々は知る由もありません。

つまり、人間は、生きた状態でしかいられないわけです。

※死については、古代ギリシア時代のエピクロスが

”死は、もろもろの災厄のなかでも最も恐ろしいものとされているが、実は、われわれにとっては何ものでもない。なぜなら、われわれが生きて存在している時には、死はわれわれのところには無いし、死が実際にわれわれのところにやってきた時には、われわれはもはや存在していないからである” という言葉を残しております。

なので、当然ですが、我々は自分自身を『生きたもの』としてしか考えられないんです。

だから、死を考え出すとそわそわと焦燥が生まれんだそうです。

死の前では、人間は優柔不断の中に投げ込まれ、なすすべがない

倒錯した考えだけど、自殺しようとする人のほうがずっとまとなんだそうですよ。だって死ぬことを恐れていないわけですから(おい)

健康なのに死を恐れ考える人は、答えが出ないことをくよくよ考えていてとても滑稽である。

問題決断期限を提示してくれるトランプ遊びのほうがよっぽど健全です。

そもそも人間は様々な行動や思考をあえてするんですよ

なぜか?人間は本質的に勇気があり、死の危険をものともしなけど、逆に何もせず死を待つことができないんです。

なので、何もしていないとき(=暇)ほど倦怠、焦燥を強く感じてしまい・・・

究極的には戦争に足を突っ込んでしまうわけです。

つまり、戦争はおめでたき立場のヒマ人(しかもごく少数)の倦怠によって起こされるというわけです。

戦争によってもたらされた危険を感じて暇や焦燥といった恐怖を振り払い、生きていることを肯定している。決して死にたいわけでは無いのです。

論語の、『小人閑居して不全をなす』理論です。

なので、日々能動的にせっせと働く人は、絶えず死に打ち勝っているといえるわけです。

それこそが死を考える本当の態度なんです。

病気になることで、「病気かもしれない・・・」という恐怖から癒されるのと同じで、恐怖とは、何も生み出さない心の動揺に他ならないんです。

考えれば考えるほど不安は拡大再生産されます。

そしてそれは死も明日の試験もおんなじ

皆さん、死ぬときは深さ10センチの水たまりでも溺死しますし、大海原に投げ出されても助かるときは助かります。

気楽に生きましょうや。

16.態度

どんな平凡な人間でも、自分の不幸をまねるや否や大芸術家となる。

この冒頭だけでいいから読んでほしい人がどれだけ多いか・・・

心が締め付けられると、腕を振り回したり、歯を食いしばったり、外部に現れなくても、体の内で外にでる下ごしらえをしている。

で、眠れないときに嫌な考えが浮かんで不愉快になるのは下ごしらえされた物まねなんだそうです。

で、こういった害悪には緊張緩和と体操が必要なんだそうですが、誰もやらない。。。

確かに、どんなに嫌なことがあっても、疲れていると結構ぐっすり眠れるものです。

え?

寝られない?

(布団に入って長くても10分くらいで夢の中のワタクシが異端なんでしょうか・・・)
と、とにかく体を動かすといいですよ。

筋トレ&ストレッチです。

で、礼儀(やさしさ・親切・快活さ)は不機嫌だけでなく、なんと胃病にも少なからぬ手当となるそう

ですよ。変にストレスがたまらないからでしょうかね?

 

そして微笑・頭を下げるといった動きは、怒りなど反対の動きを不可能にします。

確かに

笑いながら怒るなんてできるの竹中直人くらいですよね。

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笑いながら怒る人代表 (古い)

笑ったり礼儀を尽くしていると、悲劇から解放してくれる。よっぽとのサイコパスでもない限り、ニコニコ礼儀を尽くす人をボロクソに貶したりしませんものね。

よっぽどのサイコパスが実際いるのが辛いところですが・・・

首を垂れる、かがむという行為が頻繁に行われるのが、宗教です

が、この宗教的態度(かがむ・くつろぐ・ひざまづく)は体の諸機関が解放され、心と健康にもいい影響があるんですって。祈り(という運動)で(体と心が解放され)心が安らぐのは当然のことで、少しも奇跡ではないわけです。

それでも気分が晴れないと、何もする気になれない、というあなたに、次の言葉を送ります。

『意志は情念に対して何の力もないが、運動に対しては直接の力を持つ』

もやもやした気分は意志によって変えられなくても、運動しよう!と思えば体は動く!

ゆえに案ずる(情念で考える)より産む(運動する)がやすし!!

ゆえに案ずる(いろいろ悩む)より産む(筋トレ)がやすし!!!

筋肉は裏切りませんから、皆様一つ良しなに・・・

 

 

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