共生から考える、エンパシーと不動産

おはようございま・・・あかんお昼すぎだ。

いや~久しぶりにガツンと来る寄稿

口から手を突っ込んでぶん殴られたくらいの衝撃でした。

奪われた「共生」の言葉 障害者なき対話に市川沙央さんは思う

※この指摘を受けての朝日新聞コメント

「共生」への取り組み強化 市川沙央さんの朝日地球会議への指摘受け

朝日新聞主催の「朝日地球会議2024」

テーマで「対話でさぐる 共生の未来」と謳っているのに、障害者が一定割合どころか誰もいない

スライドに字幕もつけていない。どこが共生?と思わざるを得ない。というかいないのと同じに扱われてるな…と失望を通り越して絶望している。

そんな寄稿です。

一番伝えたかった部分だけ引用します

 繰り返します。他の国ならいざ知らず、日本は「相模原障害者施設殺傷事件」という、稀(まれ)にみる障害者憎悪犯罪が起きた国なのですよ。あの日、2016年7月26日に、何人が殺され、何人が傷を負ったか、覚えておられますか。それをまっとうに記憶していたら、「共生」の語を身体的弱者への想像力なしに、無思考に、ただの意識高いwokeのためのキラキラワードに貶(おとし)めてしまう「朝日地球会議2024」のセッション構成はありえなかったのではないですか? あるいはもっと深刻な認識の問題――【そうは言っても、われわれの「一般社会」とヤマユリエンみたいな障害者の世界は、ぜんぜん別のことだからなあ……】――こうした心理の断絶が、私とあなたがたの間には横たわっているのかもしれません。これが、本寄稿で私があなたがたに伝えたかったことです。 ※元記事より引用

”本気で取り組むわけでもなく、想像力なしに無思考に、ただの意識高いwokeのためのキラキラワード”

エコ、ロハス、SDGS、サステナブル・・・今までさんざん見てきました。

ここに”共生”が仲間入りする・・・

絶望的な気持ちにもなりますよ・・・なんせ市川さん本人が先天性ミオパチーという難病をかかえた障害者ですから。

例えば読書に関しても、紙の本がいいというのは健常者だからであって、市川さんのように手足が不自由な方にとっては、『ページをめくる』こと自体が苦行でしかない。

そんな市川さんの芥川賞受賞作『ハンチバック』は、恐ろしい量のエネルギーが詰め込まれた作品でした。

とはいえ、我々健常者は、それが当たり前だという目線で物事をみてしまいます。

○○は常識だろう

言わなくても○○は当たり前だろう

と断じる前に、視座をずらすことがだいじなんですよね。。。

癖にでもしない限り容易なことではないかと思いますが、だからこそ忘れないでいなければなりません。

それこそが、この間の記事で書いた”エンパシー”ですね。

で、翻ってワタクシ共のお仕事

書類の取りまとめがメインです。

※その書類の取りまとめするまでが長いんですがね・・・

お客様に不安なく記入押印いただくために、書類を万全に準備するだけではなく、何が必要かを

ちゃんと伝えなければなと、あらためて思いました。

頼れる存在になるには、頼られるだけの根拠がなければなりませんからね・・・

という訳でもうこんな時間だ。。。また木曜日にお会いしましょうノシ

※2025年の「朝日地球会議2025」のパネリストを見ました

やっぱり障害者いないんかよ。。。

アサピー、今からでも遅くないんじゃないの?

ああ・・・朝日に期待するだけ無駄か。なんせKYの会社だもんね。

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