児童虐待の事件に思うこと

ここ数日、義理の父親による虐待死事件の公判や、子供が父親に殺害される事件がニュースで取り上げられております。

むごたらしい事件の犯人が(義理の)父親だったことに怒りや悲しみを感じ、思わず目をそむけたくなります。

が、事件の残虐性や、父親(父親と呼ぶのも忌々しい鬼畜ですが)のばかりが大きく取り上げられ、そこから先に突っ込んだ話が全くなされないのも、問題ではないかと思います。

というわけで今回は不動産要素ゼロです。かなりまじめな話です。

※事件の性質上、過激な表現が含まれる場合がありますが予めご了承ください。

今回のケースとは違いますが、望まない妊娠を若い年齢ですると

  1. 誰にも言えずに黙っていて
  2. そしていつの間にか中絶不可能な月齢になり
  3. そのまま産婦人科にもいかずそのあたりで産む
  4. そのまま殺害してしまう
  5. またはろくな育て方ができず、虐待や暴言を浴びせ、子供に心と体に深い傷を負わせる
    (最悪今回のように死なせてしまう)

こういうケースは後を絶たないんです。

こんなの、子育てといえますかね?ていうか産ませていいんですかね?

どうしてこんなことを書くのかというと、ワタクシ

裁判員裁判に参加し、その実態の一つを目の当たりにしたからです。

色々考える二週間

私が参加したのは生まれたばかりの子供を殺害する事件(嬰児殺事件)の裁判

その母親の私生活がつまびらかに公開されるのですが、

弁解の余地がないくらいの・・・

でした。※判決前に、同様の事例を見せられるのですが、その判例も見るに堪えない事件でした、ええ

この記事書いていて、あの二週間のことを生々しく思い出しました。

さて、

アメリカでは、中絶が法律で認められてから、犯罪率が下がったというデータがある

という話を聞きました。

そして今は、手術なしで中絶できる薬があるんだそうです。

そしてその薬が認可されていないのは、先進国では

日本とポーランドだけ

なんだそうです。

これに関しては 妊娠中絶後進国」の日本女性に感じる哀れさ をご覧ください。
※怒りしか沸いてきませんが

裁判員裁判で感じたことや最近の虐待死のニュースを見て、子供を簡単に産むというのがいかに無責任か、そして日本で中絶がいかに遅れているか・・・

少子化対策少子化対策といわれているなか、生まれてくる命を途中で奪うような話ですが、生まれてきた結果なぶり殺しにされる命を全部救えるのか?

数は多くないにしろ、育てる能力も資格もない親というのは、全国に野放しになっていていいのか?

なくなったお子さんの屈託のない絵がをの写真が映る度、そういったことを考えてしまいます。

裁判員裁判制度、批判も多いのは承知しておりますが、自分は参加した立場から、体験をもとにいろいろ発信しなければならないと考えております。

というわけで、今回は落ちもなくここまで

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