突然の死、突然じゃない死から考えたこと

おはようございます

今回は不動産全く関係ない回です。あしからず

”やりたいことやったもん勝ち、青春なら・・・”

と光GENJIも歌っておりました。

青春じゃなくても・・・

いや、いつだって青春だと思ってやりたいことをやったほうがいい・・・

・・・そう思わせるに十分な強烈なエピソードが

フリーアナウンサー住吉美紀さんのお父さんのお話です

引用元 住吉美紀アナ 商社マン父は50歳で独立決断 4年後に交通事故で亡くなり「あとでやろうと思っちゃダメ」

 6歳の時、商社マンだった父の転勤でアメリカへ。以降、国内外の往来を繰り返した住吉。大学時代は東京で過ごし、他の家族は海外で暮らしていた。そんな中、夏休みに家族旅行でニューヨークを訪問。そこで父から衝撃の発表があった。
「お父さんはここで発表があります。これから会社を辞めます。カナダに移民します。これから家族4人で一緒に暮らすことは一生ありません。以上」。当時父は50歳ぐらいで、独立することを決めたという。
 しかし、54歳の時にカナダで交通事故に遭い、天国へ。
  ※ここまで記事より引用

 若くして亡くなられたことは残念ですが、住みたいと思ったところで最期を迎えられたのは、自分のやりたいことを貫いたから。

人はいつ亡くなるかわからないから、やりたいことをやらねばならない

・・・説得力が段違いです。

※余談ですが、住吉さんの最新著書『五十代の棚卸し』・・・だんだん棚降ろさねばならない歳が近づいてきて戦々恐々です。。。

突然じゃない死でも、

日テレ・菅谷大介アナのがん闘病 きっかけは人間ドック…2022年の確定診断に「そうですか」と淡々

記事から引用ですが

菅谷アナは2022年8月18日にインスタグラムの投稿を開始。「実は、膵臓がんでした」とすい臓がんであることを報告した。インスタの投稿を開始した理由は「発見の経緯から、治療、手術、現在に至るまで、私が経験したことをお伝えすることで、少しでも、どなたかのお役に立てればいいなと思っています」だった。(上リンクより引用)

ガンという病に冒されながらも仕事をするために闘病生活をする。そしてそれを公表することで、誰かの役に立ちたい。。。

本当に勇気のいることだったと思います。

SNS界隈で何言われるかわかったもんじゃないですからね。。。

菅谷アナは、最後まで緩解を信じて病と闘い、仕事も続けた。

無念だったとは思いますが、やりたいことをやり通した生涯だったと思います。

私事ですが

亡くなる直前まで弊社会長もガンでの闘病を続けておりました。

副作用の強い抗がん剤での治療を受け続け

治療の影響でまともな固形物はのどを通らず好きな食べ物も食べられなかった姿・・・

正直そこまで苦しい思いをしてまで寛解したいのか?何のために?なんて

仕事に復帰することを信じて?

復帰はかなわず(亡くなる直前に10日間だけ復帰しましたが、それが最後になりました)無念は残ったでしょうが、

そう思えるだけの不動産業という仕事に出会えた

それを命ある限りやり続けた。

それは幸せな事なんだな、

そもそも

”やりたいこと”が仕事でも仕事以外でも、同じだけと尊いことなんですよね。

自分の価値観(仕事が生きがいなんてなんて悲しい人生・・・みたいなやつ)が正しいと思い込む罠にガッツリ嵌まっていたんだなと反省しました。

・・・

え、ワタクシにとってやりたいこと?

”暮らしそのもの”ですかね。

山あり谷ありで、何があるかわからない”暮らし”を命ある限り全うすることそのものが

やりたいことといえばやりたいこと、です。

言い方を変えれば

毎日が最後の日になっても構わない心持で日々を納得しながら過ごすこと。

だって死が準備期間を与えてくれるかどうかわかりませんからね。

・・・そういう感覚になるまでに様々な葛藤や苦悩はありましたよ、勿論。

というわけで突然の哲学回でした。ではまた明日ノシ

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