当たり前顔した当たり前を疑う

おはようございます

いつの間にか当たり前になってしまったことってけっこうありますよね。

代表格が”スマホ”・・・

ワタクシは2017年くらいまでガラケーでしたが・・・

ガラケーが壊れて、機種変しようにももはやガラケーは1種類&在庫なし。。。

スマホに変えたらもうスマホしか選択肢に入らなくなりますものね。。。

で、この記事デス

インタビュー開始29秒で「録音、やめてくれる」寺尾聰から投げかけられた記者としてのあり方

録音するのが当たりまえ。。。

確かに聞き間違いや記憶漏れを防ぐには録音です。

録音をそのまま議事録かしてくれるアプリもあるようですし。

コールセンターの対応でも、録音がデフォになってるところがほとんどです。

が、この寺尾聰は録音を拒んだ。

記事の初めにこんなことを話しています

「俺の言葉を書き起こされると、つまんないんだよ。この役者が、こうだった、というのが反映されていない気がする。記者の役をやった時、記者は何を俺から探ろうとしているのかと思い始めたんだけど…ほとんどが映画のちらしに書いてあることをまとめたような、つまんない原稿。だったら、ちらしでいいじゃないか?」(記事より引用 太字ワタクシ)

確かに、近年の芸能メディアのインタビューを広く眺めても、寺尾が指摘したように、単に録音した取材対象者の言葉を、だだ流したようなものが少なくない。(記事より引用)

簡単に保存できるようになったから

インタビュー受ける側:失言しないよう、間違わないようが過度に意識されて予定調和のようなコメント

インタビューする側:発言を間違わずに記事にしなければならないことを過度に意識してしまう

そうして、

雰囲気や役者の感情といった部分は全く反映されていない平坦な記事が出来上がる。。。。

だからあえて録音ができない、振り返りができない状態でインタビューを行った・・・

だからでしょうか、実際のインタビュー記事からは記録に残らないものがただよっているように感じました。剣吞な雰囲気と、それが和らいでいくのが感じられる、そんな記事でした。

寺尾聰、78歳のいま思う「60歳以上をスカッとさせる映画を」文化根付かない日本にもの申す ※全文を読むには無料会員登録が必要です。

簡単にデータ化できる。保存できることによって、

その場限りの雰囲気はむしろ邪魔なものになってしまったのかもしれません。

その場限りだから、忘れてしまうから

言語化できないものが、残り続けるんですよ。

実際、

映画を見ても

本を読んでも

ライブをみても

たとえどんなに面白くても、感動しても

結局忘れてしまう。

でも

忘れてしまうこと、忘れてもらうことは決して悪いことではない。

さて不動産の仕事をしていると、忘れるというのはひとつの技術だと思うようになりました。

売る人、買う人それぞれにドラマがあるし、貸主借主にも、語るべき物語がある。

そのすべてを完全に覚えていたら、正気を保てなくなりますよ。。。

だから、忘れられるのがありがたいです。

もちろん記録として残すものはちゃんと残しますよ。もちろん。

で、記事のオハナシ。

録音をそのまま流したような記事

よりも害悪なのが

シロウトに毛が生えた程度のコタツ記者が、有名人やバズったポストとコメントをちょこっとまとめただけの記事

こういう奴

”○○が××な姿を披露「きれいです」「美脚ヤバい」”

”今季ワーストドラマは?2位「○○」超え一位は「感情移入できない」”

みたいなやつ。誰が求めてんのこういう記事。。。

目にするだけでうっとおしいです。

意味がない、というよりも豊かさがない記事。

こういう記事の中から、今回の記事みたいなのを見つけた時がいちばん嬉しいです。

そして、本や、映画や、音楽や、良い記事にもっと触れたいと思います。

いくら忘れてしまうとしても、思い出せなくてもいいんです。

・・・

という訳で明日は休み。そういうものに触れる一日にしよ。

では木曜日にお会いしましょう。

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