311をおもう

昨日は日本人または日本に住む人にとっては忘れられない、忘れてはいけない日でした。

あれから8年も過ぎたんですね。

山形県は被害が少なく、特に沿岸部(特に鶴岡)は被害らしい被害がありませんでした。電気も停まらず、ガス水道も止まることがなかったです。モノやガソリンがない、なんて今思えば大したことではなかったですもん。

ワタクシにとっては、震災後の2011~2019の8年間は、子供たちが二人生まれ、喜びと幸福にあふれた8年間でした

が、

家族を失った悲しみが癒えずに苦しんでいる方

支援の網から漏れ、救われることもない方

生き残ったことに罪悪感を感じている方

がまだまだ多くいらっしゃいます。

震災直後よりも特集番組は少なくなりましたが、それを思い出させられる番組がありました。

NHKのクローズアップ現代 “初めて”の帰郷 ある被災者の震災8年

内容(HPより引用)

東日本大震災の発生から8年。この間、被災地にあるふるさとにずっと帰れずにきた女性がいる。心の中にあったのは、あの日一緒に避難し亡くなった祖父母のこと。震災後上京し東京で働く中でも、なぜ救えなかったかと自らを責め続けてきた。その女性が震災8年を前に、ふるさとに帰る決断をした。ずっと抱え続けてきた思いとどう向き合ったのか。1人の女性の姿を通して、震災8年を見つめる。

~引用終わり~

その場にいたけれど祖父母を助けられなかったお孫さんの話。。。

助けられなかったことが心に残り、家に帰れなくなって8年もたったんだそうです。

一日も心が安らかな日はなかったでしょうね。

その番組で、いとうせいこう氏がこのようなことを言っておりました。

『忘れずにいることしかできないというかは多いと思うが、忘れずにいる、ということを発信することで、風化せずにみなで記憶を共有できる』(うろ覚えでスミマセン)

親になって、子を失う悲しみは当時よりもずっとずっとわかるようになりました。逆に、自分の命で子供が救えるなら、いくらでもなげうつという親の気持ちもずっとずっとわかる世になりました。

ワタクシも当時大したことをしたわけでもないし、これから具体的に大きなボランティアができるわけではありませんが、これからもずっとあの日のことを忘れません。

このブログも読んでくれる方が少なからずいらっしゃるので、これからも、何かを発信していきたいと思います。

※その番組(クロ現ですけど)の後が、震災当日の夜空をプラネタリウムで再現するという企画だったんです。

あの日、ものすごく星がきれいだったんだそうです。

ただ、あんな大震災があった後に、キレイだなんて言えないでいた方がものすごく多かったようです。

家族の安否がわからない

津波ですべてが流されてしまった

家にたどり着けるかもわからない

そんなな中

見上げた夜空があまりにも綺麗だった・・・

見上げた人たちはどんな思いだったんだろう。。。

311よりも一日遅いのは、311を過ごしてからこの記事を書こうと思ったからです決して更新サボっていたわけではありません・・・

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