おはようございます
イギリスとフランスで、安楽死法案が可決されたというのを知りました。
英下院、「安楽死」容認法案を可決 イングランドとウェールズ対象
フランス「安楽死」法案下院可決 国民の大半賛成、自殺禁じるカトリック国で変わる死生観
安楽死・・・
本人の意思と罹患した病気の症状を文字どおり楽にするためならやむを得ないとはおもいますが・・・
ワタクシ、安楽死が一般化したら
安楽死して周りの人たちに迷惑をかけない=よいこと
という同調圧力が働きかねないのでは・・・という意見をみてから
どちらがいいのかはっきりお答えできません。
終活という言葉が市民権を得て久しいです
死の話題は、避けるべきだという風潮がだいぶ薄まってきたのはよいことだと思います。
何と言っても
人間の死亡率100%ですからね。
そんな終活から一歩進んだ(?)デス活なんて話題がありましたので。
20代の4人に1人がすでに『終活』!?「死」を前向きに考える若者の『デス活』
「終活スナック」という看板に、秦アナは「初めて聞く名前。そしてかなり入りづらい名前です」と戸惑いながらも入店。
中ではドクロが出迎えます。 スタッフのYOMIさんによると、ここは「若い世代の方たちが、お酒を飲みながら他のお客さんとデス活をする場所」とのこと。
「死についてフラットに語り合える場所」として、葬儀業界に携わるオーナーが去年オープンしたそうです。(記事より引用)
・・・
朝ドラ『あんぱん』のモチーフになっていて絶賛話題沸騰中のやなせたかし氏は
亡くなる前、94歳になってなお、死にたくねぇ・・・と話しておりました。
これと似たようなことを死の間際に話していた画家がいます。
葛飾北斎です。
彼は90歳でその生涯を終えましたが
死の間際、大きく息を吐き、「あと10年の寿命があれば」と言い、しばらくして「5年の寿命が保てれば本当の絵師になれるのに」と語ったと伝えられています。
北斎の生涯と言葉(すみだ北斎美術館ホームページ)
人生をかけて何かを残すこと、表現することは素晴らしい。絵に対する熱量が違いすぎる・・・
最後の最後までずっと最大火力で燃え続けた北斎・・・
いや、このときは画名『画狂老人卍』か・・・
※晩年の北斎は、「画狂老人卍」として、彼の長いキャリアの集大成とも言える「富嶽百景」を制作しました。このシリーズでは、富士山をさまざまな角度や文脈で描き、富士の壮大さと神秘性を表現しています。これらの作品は、北斎が高齢になっても衰えることのない創造性と芸術への情熱を見せています。 参照:https://nikkoudou-kottou.com/blog/painting/13594
熱量がいかれた人たちが生み出す芸術に我々は感動したり、励まされたり、勇気づけられたりします。
でも、何かを残すことと、生きていることの価値(?)はあまりリンクしないのではないかと思います。
じゃなければ、なにも生み出さない人は死んだほうがいい、という優生思想につながりますからね。。。
偉人や芸術家がもっと生きたいと思うことは素晴らしいことですが、デス活のように死と向き合って生きる凡人も、同じように肯定されるべきです。
そもそも
生きるということは死に近づいていくことです。
ワタクシの大好きな平野啓一郎も『本心』内でこんなことを言っております
星野源も『Why/光の跡』のなかで
惹かれ合うのは なぜ
ただ「見て 綺麗」だと手を引いた
海にゆれる 光の跡
消えてゆくのに なぜ
ただ 忘れたくない思い出を
増やすのだろう
ほら 終わりは 未来だ
~~中略~~
笑い合うのは なぜ
ただ 朽ちるしかないこの時を
僕ら燃える 命の跡
消えてゆくのに なぜ
ただ 忘れたくない思い出を
増やすのだろう
ほら 出会いは 未来だ
と歌っております。
※この曲についてはこちらで
そういえば
主題歌の『賜物』の歌詞にも
いつか来たる命の終わりへと 近づいてくはずの明日が
輝いてさえ見えるこの摩訶不思議で 愛しき魔法の鍵を
いきるとは、死ぬことなんです。
生きることと向き合うのは死と向き合うと同じなんです。
死を想うということは、生を想うことなんですよね。
どうせ死ぬんだから・・・
という言葉の裏には
それまでは生きなければならない
が隠れているんです。
ワタクシ、
自他ともに認める凡人です。
世界に名をとどろかせたり、公益のために尽力して感謝される…
なんてことはおそらくないと思います。
二十歳そこそこからずっと死について考えてますから、
死が怖い
とか、
死んだ後のことを考えると不安だとか
全くありません。
忘れられたくないという気持ちもまったくありません。
だってワタクシそのときには死んでしまってるんだもの。
哲学者カントは死ぬ間際
『これでよい』と言ったそうです。
自分がそれまで行った思索に納得しているから言える言葉です。
カントのように大きな功績を残さなくても、
ワタクシ今日が人生最後の日でも、
『これでよい』
と思える、そう思い続けて生きていたいと思います。
乱暴な言い方になりますが
しゃーない、死ぬまで生きてやりますか・・・
くらいがちょうどいいのかもしれません。人生なんて。
ただ・・・
不動産みたいな財産は、亡くなるまでどうするか決めていないと遺産相続時に周りが
『どうすんべ…』
となりますから、事前に決めておきましょうね(ニッコリ)
というか弊社に・・・
・・・
・・・前段が台無しや・・・
ではまた明日ノシ